プロフィール
本名、エリザベス・マーティン。
1971年、ドミニカ人の父とバルバドス人の母の下、イギリスはサウス・ロンドンのブリクストンに生まれる。幼い頃からソウル/ R&B やレゲエなどブラック・ミュージックに囲まれて育ったエリーシャは学生時代から音楽を始め、様々なグループで活動していた。当初はラッパーとして活動していた彼女だったが、ある日シンガーの女の子が休んだのをきっかけに唄も歌うようになっていく。そして彼女が自分で曲を書いて歌うようになると、その才能は俄に周囲の人間の注目を集め始める。その中のひとりにあのマキシ・プリーストがいた。
エリーシャは語る。「新人のシンガーにとって、初めから良いブレーンに出会うのは普通とても難しいんだけど、私はその点ではとっても恵まれていたの。誰にだって、一生懸命がんばるように励ましてくれて、正しいペースで前進するのを手伝ってくれる人は必要でしょう?」
こうしてマキシ・プリーストのプロダクションに迎えられたエリーシャはたくさんのセッションを経て、アーティストとしての実力を貯えていく。そして94年、マキシの持つレーベル "DUGOUT" から "I Like What You Do To Me" をリリース。アレサ・フランクリンとも仕事をした事のあるアラン・グラスによって書かれたこの曲はロンドンを中心にクラブ・ヒットとなり、東京でもHIP HOP、R&B系DJを中心として話題を集めたのだった。その"I Like What You Do To Me"をエイベックスのA&Rディレクターが偶然に手に入れたことから事態は急展開していく。彼女のヴォーカルにアーティストとしての可能性を感じた彼は、すぐにロンドンのエリーシャにコンタクトを取り、アーティスト契約の話を持ち込んだ。ここから日本発のR&Bプロジェクトが動き出していく。
その頃インディーからジャイアント・スウィング・プロダクションズ名義のアルバムをリリースしていたT・クラと親交の厚かった彼は、エリーシャ用のデモを彼に依頼する。そしてT・クラの、日本人が作ったとは思えないほど完成度の高いR&Bトラックを聴いたエリーシャは、T・クラとのコラボレイションが素晴らしいものになることを確信し、この日英の国境を越えたR&Bプロジェクトに賭けることを決心したのだった。そして約1年半の制作期間を経て96年秋、デビュー・アルバム「ハー・ネーム・イズ....」がリリースされた。
そのデビュー・アルバムからシングル・カットされた"I May Be Single"は 日本全国のFMの13局でヘヴィ・ローテーションを獲得、全国のラジオ・チ ャートを駆け登る。またクラブ・シーンでもロング・ヒットとなり、かくしてアルバム「ハー・ネーム・イズ....」は新人としては異例の大ヒットを記録するのである。
そして 更に、"I May Be Single" に続いてカットされた"Say Yeah!"が日本の音楽シーンを揺るがす快挙を成し遂げる。なんとUKのブラック・ミュージックの権威ともいうべきブルース&ソウル紙のチャートにおいて日本人プロデューサーの楽曲として初めて1位を獲得したのである。UKブラックと日本人R&Bクリエイターによるコラボレイションが国境、人種の壁を越えた瞬間である。
その約1年後、エリーシャはまたまたR&Bシーンに話題を巻き起こす。デビュー・アルバムからのシングル曲のリミックス・ヴァージョンばかりを収録した「リミックスEP」を97年7月にリリースしたのだが、その中に新曲として収録されたジェーン・チャイルドのカヴァー「ドント・ワナ・フォール・イン・ラヴ」がクラブ・シーンから火が付き、またもや全国のラジオで大人気を呼んだのである。この曲はそのころ水面下で動き始めていたニュー・ジャック・スウィング再評価を先取りした強力なNJS タイプのトラックで、エリーシャの優れた時代感覚を世間に知らしめる好企画となった。
その「ドント・ワナ・フォール・イン・ラヴ」がヒットしている中、エリーシャは、R&Bの本場である米国の一流プロデューサーとのコラボレイションに向けて動き出していた。セカンド・アルバムをデビュー作以上のものにするには、成功したジャイアント・スウィングとのプロジェクトを更なる次元へと高めるのはもちろんのことながら、自ら高いハードルに挑戦することが必要だと感じていたからである。そしてエリーシャは、SWVやブラウンストーン、ボーイズ II メンなどで知られるザ・キャラクターズ、ザ・ブラクストンズやカラー・ミー・バッド、サム・ソルターを手掛けたショーン・ホール、そしてサムシン・フォー・ザ・ピープルやフォスター&マッケルロイ等の仕事で知られるマーロン・マクレーンの3組とのコラボレイションを実現するのである。
3組とのレコーディングはどれも心地いい緊張感に包まれた素晴らしいセッションで、エリーシャはこの中で確実に成長していった。とりわけ、マーロンのプロデュース曲で、サムシン・フォー・ザ・ピープルのリード・シンガーであるファジーとのデュエットした経験はエリーシャにとって何ものにも変え難い貴重なものとなった。ちょうどこのレコーディングの直前にサムシン・フォー・ザ・ピープルの "My Love Is The Shhh!" が全米No.1に輝いており、全米No.1グループのリード・シンガーと一緒にスタジオに入るというのはそう経験できるものではないからだ。優れたアーティストは、優れたアーティストとのセッションから何かを吸収していくものだが、エリーシャがここから何かを掴んだのは間違いない。
そして98年5月、セカンド・アルバム「エリーシャ・ラヴァーン」が発売される。T・クラと、その盟友ともいうべきマエストロ・Tがエリーシャとともに書き上げたシングル"I'm Not Dreaming"は"I May Be Single"以上の大ヒットを記録、セカンド・アルバム「エリーシャ・ラヴァーン」はデビュー・アルバムを凌ぐヒット作となったのである。また、"I'm Not Dreaming"に続いてカットされた"Your Love Sends Me"がUKブルース&ソウル誌のチャートにおいて初登場1位を記録。そしてその夏、東京、大阪、福岡と初めてのクラブ・ツアーも成功を収めるなど、エリーシャ・ラヴァーンはR&Bアーティストとして確固たるポジションを獲得していく。
99年3月、「リミックスEP2」発売。「リミックスEP」で"Don't Wanna Fall In Love"という好企画を成功させたエリーシャだが、ここでもまた NJS クラシックであるタミー・ルーカスの"Is It Good To You"を見事にカヴァーし、NJS 世代ならではのオマージュを表現。R&Bファンから更なるプロップスを得ることに成功している。そして、この「リミックスEP2」にはプロモーション用として北海道地区だけで配られ、インターネット上で話題を巻き起こした"I'm Not Dreaming"のマエストロ・Tによるスペシャル・リミックスも収録されるなど、「リミックスEP」を上回るセールスを記録している。
こうして、アルバム2枚、リミックス・ミニ・アルバム2枚とリリースした作品全てに好成績を収めてきたエリーシャだが、彼女はその結果に酔っているひまはなかった。「リミックスEP2」のリリース後も、彼女を見い出したマキシ・プリーストの最新作に参加し、"Back Together Again"(ダニー・ハサウェイ&ロバータ・フラックの名曲のカヴァー)をデュエットしてスマッシュ・ヒットさせるなど精力的に活動を続けていたエリーシャだが、その間にも次の作品への構想を着々と進めていたのである。
セカンド・アルバムを制作する過程で、もっと、もっと、作り手として自分のクリエイティヴィティを発揮してみたいという欲求が高まってきた、とエリーシャは語る。かくして彼女は自宅でデモ作りをするためのプリ・プロダクション用機材を購入。忙しい合間を縫って、ロンドンの自分のブレーン達とともにサード・アルバムに向けてのデモ作りを行っていった。アーティストとして、エリーシャは次なるステップを踏み出したのである。
99年の夏、エリーシャ・ラヴァーンとエイベックスのA & Rマンがそれぞれの構想を持ちよって、サード・アルバムのプロジェクトはスタートした。A & Rマンが提案したのは、"切なさに秘められた情熱"を感じさせるエリーシャならではの声、ヴォーカル・パフォーマンスをとにかく大事にしていくこと。そして楽曲自体の完成度に徹底してこだわること。この2つである。それに対してエリーシャは、ロンドンを拠点に活動するプロデューサー・ユニットであるロシェアと作った"So Very Hot"、鷺巣誌郎と共にマッシュとして2枚のアルバムをリリースしているマーティン・ラッセルズと作った"Stay The Night"のデモを提示したのだが、驚くべきことにその2曲のデモは正にA & Rマンが提案した二つのコンセプトに合致した内容だったのである。結果そのデモが採用されたのは云うまでもなく、そのコンセプトのもとにサード・アルバムの制作を進めることをA & Rマンは決心した。
エリーシャのデモ楽曲のレコーディングはその2組のプロデューサーそれぞれのスタジオにて行われたのだが、曲作りの段階から一緒にやってきただけあってスタジオは終止リラックスした雰囲気に包まれていた。ロシェアも、マーティンも、彼女の紡ぎ出すメロディーに全幅の信頼を置いているためレコーディングはエリーシャを中心にスムーズに進み、デモは素晴らしい作品へと仕上がった。
ロンドンでエリーシャのデモ楽曲をレコーディングするのと平行して、他のプロデューサーとのレコーディングも進められた。LAでマーロン・マクレーン&マーク・ローマックス、タカ&スピーディ、マーク・ネルソン、ミネアポリスでビッグ・ジム・ライト、そしてロンドンでT・クラのレコーディングが行われたのだが、エリーシャは全てのレコーディング・セッションに於いて積極的に自分の意見やアイディアを出し、各プロデューサーとのコラボレイションを存分に楽しんでいるように見えた。それに対するプロデューサー陣もエリーシャのクリエイティヴィティをリスペクトを持って受け止め、本当の意味でのコラボレイションが成立した素晴らしいレコーディングとなったのである。
こうして完成したサード・アルバム「チェンジ・ユア・ウェイ」はサトシ ・トミイエ(ex:デフ・ミックス・プロダクションズ)による"You Are The One"のハウス・リミックスを含んだ全15曲という内容となっているが、総勢8組のプロデューサーが参加した作品とは思えないほど、アルバム全体に統一感をたたえている。アコースティック・ギターをはじめとする生楽器が多用されたサウンドはプロデューサー、A&Rマンが意図して作り上げたものではない。エリーシャの書いた曲、唄に自然に導かれて生まれた有機的な結果なのである。これこそがエリーシャ・ラヴァーンのオリジナリティに他ならない。
アルバムの冒頭に収録された"You Are The One"はマーロン・マクレーンのアコースティック・ギターの演奏だけをバックに唄ったバラードだが、そこには何のギミックもなく、今現在の等身大の彼女がいるだけだ。こんな曲をアルバムの1曲目に持ってくる辺りに、デビューから4年、アルバム3作目を数えたアーティストとしての自信が感じられるではないか。
"Change Your Way"は、そのタイトルが示すようにエリーシャの音楽制作活動にとって明確な分岐点となる作品となった。三部作の完結編であり、日、英、米の三カ国でのレコーディングというそれまでの手法の締めくくりとし、その後の4thアルバムの内容をそれとなくリスナーに匂わせている。そう、プロデューサーという仕事に対する彼女のアティテュードが確立されたのは、3rdアルバムの完成直後の事だったのである。
エリーシャはすぐさまJoJoという新人のR&Bシンガーのプロデュースに着手する。アルバム全曲の作詞、作曲、コーラス・アレンジを担当し、尚かつレコーディングでも自らがバック・コーラスとして参加したり、更にはラップまで披露する力の入れようで、結果JoJoは白人のR&Bシンガーという立場ながら、ロンドンの黒人音楽シーンでも一目置かれる存在となる。そして驚くべき事に、エリーシャは自らの第4作目のアルバム用のデモ作りも、ほぼ同時期からスタートするのである。
彼女はプロとして活動し始めた当時から交流のあったロンドンのサウンド・プロデューサー、Trea(ピース・バイ・ピースというグループのリーダーで、メガ・ヒットこそ出していないまでも優れた才能のある人物である)や、UKのR&Bシーンの重鎮、Full Crew、ユニークな若手プロデューサーとして注目を集めるJames Yardeに声をかけ、デモ・テープの制作を行う。そしてTaxman、Blaze Billionsという、ロンドンのR&Bシーンで実績を作ったその後に単身NYへ渡り制作活動を続けている、いわば同じ志を持つ同胞へ連絡を取り、エリーシャ自らがNYへ飛んでセッションを重ね、更に知人であるRed Foxから紹介を受けた初対面のプロデューサーであるJunod EtienneとStereotype Productionの門を叩き、共に作詞作曲に励む毎日が続く。
そうして完成した最新作には、アルバム・プロデューサーとしてエリーシャ・ラヴァーンの名前がクレジットされている。「センシュアス」、そう銘打たれたこのアルバムは、タイトル通り彼女の感覚的な部分をストレートに反映した、いわばこれまでの経験から紡ぎ出された私小説のようなものかも知れない。
(オフィシャルウェブサイトより・2006年7月現在)

