プロフィール
1997年、ジョン・テイラーはデュラン・デュランを脱退した。
オリジナル・メンバーとして約20年、偉大なるグループと歩み続けてきた男が、ひとりのアーティストとしての旅立ちを決心したのだ。
これまでにもジョンは、86年に映画「ナイン・ハーフ」の主題歌「アイ・ドゥ・ホワット・アイ・ドゥ」を、そして10年後の96年には、初のソロ・アルバム「フィーリングス・アー・グッド・アンド・アザー・ライズ」をソロ名義でリリースしている。
しかし、いずれもデュラン・デュランのメンバーとしてのソロ・プロジェクトは、彼にとってパワーステーション、ニューロティック・アウトサイダーズといった一連のプロジェクトの一環だったといえる。
「これまでのソロ作品はどこかデュラン・デュランというバックに甘えて作っていたように思う。このアルバムは、自分自身を全面に押し出すことができた初めての作品なんだ。」とジョン。
80年代、音楽シーンのトップを走り、90年代も「ザ・ウエディング・アルバム」であらたな展開を見せてくれたデュラン・デュラン。その中心人物であるジョンの脱退は、多くのファンに疑問を残した。ジョン・テイラーは、その甘いルックスから美しきベーシストとしてティーン誌のグラビアを飾る存在だったが、音楽面において、バンド内でのイニシアティブを握っていた人物でもあった。ツアーのリハーサルでは、バンマスとして髪振り乱し、指揮をとっていた姿を思い出す。
つまりジョン・テイラーは、私達がイメージしているジョンとは別のアーティスィックな面を多大にもっているミュージシャンなのである。
ジョン・テイラーが、デュラン・デュランを脱退したことに対するショックは大きいが、彼のアーティスティックな思いが大きく膨らんだ上での結果だと理解すれば、すべて納得する。
「デュラン・デュランをスタートさせた時は、世界中を回れるだけで楽しかった。でも時が経つにつれて、自分自身で何かできないかという思いが強くなっていったんだ。ベーシストとして、バンドの中で自分自身を表現していくことの限界を感じたんだ。自分がこれまで経験してきたことを歌にして表現していくには、このままの状態では叶わないと思ったんだ。」
デュラン・デュランのメンバーであることへのフラストレーションが、ジョンを脱退へと導いていった。でも、それと同時にプライベート面での問題があったこともジョンは認めている。
「パワーステーションの再結成は、楽しみにしていた。でも、アルバム制作だけでなく、ワールド・ツアーも計画されていて、次から次へとスケジュールが入って、精神的に受け入れられなくなってしまったんだ。実は、離婚をきっかけに、自分は一体何なのかを悩み、精神的にアンハッピーな状態が続いていたんだ。だから、誰かと何かをやるというより、自分自身で何かをやることが大切だと思ったんだ。」
アルコール中毒にかかり、それを克服し、今ではお酒をいっさい口にせず、タバコは一日一本ぐらいの健康的な体に回復したジョン。しかし、80年代のクレイジー・ライフを否定することなく、自分のなかでしっかり消化し、そういった自分自身の経験を隠すことなく歌にしたのがこの作品なのだ。
「人生はストレスの固まり。バンドが成功して、お金が入ってきて、アップ&ダウンを経験して...。そんな立場になったら、誰もが精神的なストレスをもつと思う。今僕がここにいるということは、それを乗り越えたということ。39歳になったんだ。いろいろあったさ。」
アルバム「ジョン・テイラー」には、世界各国をツアーして、いたるところに美しい女性が待っている、そんな状況に溺れた男について歌っている曲がある。これは男の勝利ではなく、自分をボロボロにするだけだという意味が含まれている。他には、人生のレースからはずれることの恐怖、一度は捨てた故郷イギリスに対する想いなど、ジョンの自分史が綴られている。アルバムのラスト「マイ・アメリカン・ミューズ」には、ジョンがイギリスを後にし、LAで新しい生活をはじめ、新しい自分作りを試みた感謝の気持ちが表れているように思う。
「デュラン・デュランは今でも誇りに思っている。いろいろな素晴らしい思い出がある。でも、今僕は前向きだから、あの頃のことを振り返るよりも、来週はスタジオに入って、あれをやろう、これをやろうと考えていた方がいいんだ。先に進んでいきたい。過去を引きずって生きるのではなく、デュラン・デュランをステップに次のドアを開けて進んでいきたいんだ。」
世界のトップを極めたジョン・テイラーの新たなる旅立ちは、パンクに目覚め、バンドを始めた10代のあの頃と同じだ。純粋なまでに音楽にのめり込み、アルバムを制作している。新作は彼の本音と情熱に溢れた作品なのだ。
実は、アルバムリリースに先駆けて、かねてからジョンのファンであったフェイバリット・ブルーの木村貴志氏のリクエストで、FBのレコーディングに参加するため、ジョンは5月に来日した。木村氏とジョンの穏やかな世界の中でのレコーディング。初対面ながら意気投合し、二人のミュージシャン・フィーリングをしっかりと融合させた作品を作り上げていた。ジョンにとって日本のアーティストとの共演は、初めてのことだったが、彼の前向きな精神は、木村氏からも大きな刺激を受け、アーティストとしての自分の可能性の再発見に喜びを感じていた。また、同世代である日本のロックン・ロール・バンド、ザ・スラット・バンクスの下北沢シェルターでのライブの飛び入りも楽しかったようだ。「リオ」「プラネット・アース」のパンク・ヴァージョンとクラシックの「ジェニー・ジョーンズ」を演奏した。
現在ジョンは、前述したようにLAをベースに活動しているが、9月中旬からUSツアーがスタート。また、映画の世界にも進出しており、秋には全米、イギリスで、ジョン出演によるミュージシャンのライフ・ストーリーを映画化した「シュガー・タウン」が公開されるほか、2000年公開の「フリントストーン2」にも出演している。
(オフィシャルウェブサイトより・2006年7月現在)

