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画像:LUTRICIA McNEAL

LUTRICIA McNEAL


プロフィール

LUTRICIA MCNEAL
(ルトリシア・マクニール)

ルトリシア・マクニールはアメリカのオクラホマシティに生まれ育った。大家族のルトリシアは9人いる子供の7番目…の出身である。父親は牧師、母親は伝道師。家庭は低所得層で金銭的な余裕は無かったが、それでも彼らは何ひとつ欠いてはいなかった。厳格に育てられたと言っていい子供時代とはいえ、家庭内には豊かな愛情があったのだ。

ルトリシアの音楽との最初の出会いは、教会のゴスペル隊での歌を通じて訪れた。ユニオン・バス・ステーションで働いて家計の足しにしていた父親は、ティナ・ターナー、ジェイムス・ブラウンといったアーティストが通りかかるのを見かけることがあった。彼が家に持ち帰って来るそんな話が、若きルトリシアを魅了し、将来への夢を煽った。その後、彼女はルイジアナ州グランブリング州立大学の音楽の奨学金を獲得した。

1989年、彼女は大学の友人ひとりを伴なってヨーロッパへ旅立った。旅をしてあちこち見て回ることぐらいしか、特に予定は立てていなかったのだが、何かが起こるに違いないという確かな感覚が彼女にはあった。その旅は、彼女の夢を実現するための試みのようなものだったのだ。あらゆる機会を捉えては歌い、誰かが耳をとめてチャンスを与えてくることを期待した。

いくつかローカルなバンドで歌いながらドイツでしばらく過ごした後に、ルトリシアと友人は休暇でスウェーデンに出かけた。その1週間後、友人は地元に帰り、ルトリシアはそのまま残った。プロデューサー・チームのRob'N'Raz と出会って彼らの新しいプロジェクト、Rob'N'Raz DLC のリードシンガーとなったことから道は開かれた。

ルトリシアはこのグループでアルバムを2枚レコーディングし、"Clubhopping"、"Bite the Beat"、"In Command"他、数多くのヒット曲を送り出した。

1996 年から1997年にかけての冬、彼女は『エイント・ザット・ジャスト・ザ・ウェイ(原題:My Side of Town)』と題された初のソロ・アルバムを録音。同アルバムからの第一弾シングル"Ain't That Just The Way"はスウェーデンで即、No.1 ヒットになった。それから間もなく、彼女はスウェーデンのダンス・ミュージック・アワードで年間最優秀新人賞に選ばれている。"Ain't That Just The Way"はヨーロッパやアジア各地でも大ヒットした。

彼女のデビュー・アルバムは英国とアメリカの市場を対象に再発された。同アルバムからのその後のシングル…"Stranded"、"Someone Loves You Honey"、"The Greatest Love You'll Ever Know"…は英国の各ポップス系トップ10チャートに入り、各地でヒットシングルとなった。彼女の全シングル及びデビュー・アルバムはいずれも、ニュージーランドでゴールドもしくはプラチナムを記録している。

彼女の2枚目のアルバム『ホワッチャ・ビーン・ドゥーイング(原題:Whatcha Been Doing)』は1999年11月にリリースされた。2枚のアルバムを合わせると、全世界で2百万枚以上売り上げてた(シングル"Ain't That Just The Way"は、単独で2百万枚売れている)。

2001年、ルトリシアはしばし休みを取った。曲作りに専念しつつ、子供も生まれた。現在、彼女は2人の子供のディーン(13才)とダラス(4才)の母親である。

2002 年5月、『メトロプレックス(原題:Metroplex)』なるニュー・アルバムを引っ提げて、ルトリシア・マクニールは戻って来た。このアルバムからの1st シングルはメPerfect Loveモで、これがスウェーデンの各セールス・チャート及びラジオ・チャートでトップ10に到達。決まって難航するドイツやオーストリアの市場でも成功を収め、2002年最大のラジオ・ヒットのひとつになった。

続くシングル群…"Wrong Or Right"、"You Showed Me"、"Power Of Music"…もラジオで大ヒットして、'クィーン・オブ・ラジオ'という往年の彼女のニックネームを改めて確かなものとした。アルバム『Metroplex』からの3枚のシングルは、ポーランドの各シングル・セールス・チャートのトップ10に入っている

その後1年半程、ルトリシアの周辺は静かだったが、2004年10月、彼女は堂々と復活した。現状、ルトリシアは彼女が作った最もパーソナルなCDであるニュー・アルバム『Soulsister Ambassador』の録音を終えている。そのキャリアにおいて初めて、彼女が自身のアルバムのエグゼクティヴ・プロデューサーを務め、全曲を自ら選曲、もしくは共作した。

復活劇は、2004年10月に『Soulsister Ambassador』がリリースされたドイツで幕を上げた。同アルバムからの第一弾シングル"Promise Me"は、ドイツでのルトリシア最大のラジオ・ヒットのひとつになっている。これはドイツのいくつかのラジオ局で初登場第1位となった他、2週連続でドイツのラジオで最もプレイされたメインストリームの曲でもあった(その結果、ドイツのいわゆるフォーマット・チャートで第1位になっている)。

また、ドイツ版プレーボーイ誌の表紙に登場したルトリシアに、彼女のファンは大いに驚かされた。実は、あの有名雑誌のためにポーズを取ることを決めたのは彼女自身で、お陰で2004年11月号でのみ10ページに渡って彼女の姿を見ることができるのだ。

2005 年4月、ルトリシア・マクニールのニュー・アルバム『ライズ』が日本でもリリース。フィル・コリンズやポール・ヤングの名曲に加え、カノン、月光といったクラシックをモチーフとした2曲。さらにはファンクを感じさせる"Propaganda"など、あらたに制作された5曲を追加収録している。


(オフィシャルウェブサイトより・2006年7月現在)


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